極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる

科学技術に携わる者として、何か哲学書を読んでおきたいと思いました。物事を突き詰めて考え抜いていく過程で生まれたものが様々な学問であり、哲学で生まれた問いかけが学問の源泉となりうるからです。そうした考え方の視点を得られればと思います。

読書対象に選んだのは、何となく表題で気になっていた、ハイデガーの「存在と時間」です。ただし原著はとても難解であると言われているので、素直に入門書から入ることにしました。購入したのは、「極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる」です。ただ入門書は著者による解釈の思想が出てくるので、可能なら複数の本を読み比べるのが良いでしょうね。

書籍の内容はわかりやすく、通勤電車内で読み進めて1週間掛からない程度で読了できました。ただし引用されている原著の文はとても分かりにくく、入門書による解説がないと即投げ出してしまいそうです。

「存在と時間」の内容そのものは、事前に想像していたものとは少し違うものでしたが、話の進め方は面白かったです。文中にはハイデガー語とも言われる独自の概念が色々出てくるので、それらを一旦頭に定着させないと途中で混乱してきます。その字面から受ける印象で勝手に意味を解釈すると、混乱のもととなります。

第1章「存在と時間という書物」では、「存在と時間」という書物がどういった哲学プロジェクトに基づいていて、どういった位置づけなのかについて、説明されています。同時に存在の意味の問いについて触れています。何となく存在というと、物体がそこにある、という状態をイメージすると思いますが、サッカーの試合のようにあるタイミングから存在してあるタイミングで消えるような存在者も定義できます。

第2章「世界の内にあること」では、周辺にある様々なものがそれを用いて行為されることで、存在することが説明されています。我々は、そうした様々な存在者がいてそれらがネットワーク状に繋がる世界の中に存在しています。

第3章「空間の内にあること」では、様々な存在者との近さや遠さについて説明されています。物理的な距離ではなく、行為の関連における距離の近さが言及されています。

第4章「他者と共にあること」では、一般的な概念としての「ひと」に合わせて、我々は生きていることが説明されています。

第5章「ひとりの私であること」では、世間一般で標準化されている「ひと」という概念に合わせて生きている非本来的な生き方と、そうではない本来的な生き方について、説明されています。

第6章「本来的な在り方」では、「死」という他者には代理されないものを意識することで、本来的な生き方を求めるという、死を先駆した決意したあり方について、説明されています。「死」が出てきたことで、「存在と時間」のタイトルにもある「時間」についても登場してきた形になります。

第7章「自己であること」では、自己を自己たらしめているものとして、その人の記憶に代表される歴史性について説明されています。映画”君の名は”を題材とした例え話は分かりやすいです。自己の記憶が歴史性すなわち時系列に従って並んでいることが、自己であることに繋がります。

存在の意味を問うために、数多の存在者の中から存在の意味を問うことができる、我々自身の存在を掘り下げるというアプローチを取ったため、人に関する分析が多くを占めています。これが実際に本書の読了前後の印象で大きく違ったところでした。

嚙み砕いて分かりやすく書かれた入門書なので、大筋の流れは理解できますし、その一方でウェブページなどで紹介されているあらすじより、深い内容を知ることができます。冒頭に書いたように、短い時間で読めるので良いです。

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